宮城リョータのアメリカ留学はいつ頃?映画スラムダンクのその後を考察!

映画スラムダンク

伝説の漫画『スラムダンク』を映画した『THE FIRST SLAM DUNK』。

アニメでは放送されなかった山王戦を描くだけではなく、宮城リョータの生い立ちをフォーカスした内容に大きな反響を呼んでいます。

さらに、映画の終盤で宮城リョータがアメリカに留学しているシーンが話題になりました。

原作漫画や井上先生が廃校の黒板に書いた『10日後』だけでは予想できなかった驚きの展開。

宮城リョータのアメリカ留学はいつ頃の話なのか?

その後の展開について考察をまとめていきたいと思います。

『THE FIRST SLAM DUNK』で宮城リョータのその後が話題!

待望の映画化が実現した『THE FIRST SLAM DUNK』

山王戦を原作に沿って映画化するだけでなく

井上先生が宮城リョータの生い立ちにフォーカスして作品をつくったことに大きな反響を呼んでいます。

原作コミックでは、宮城の過去はあまり深掘りされたことはなく

父親の死や兄の死を乗り越えて強くなった宮城リョータのバックグラウンドは

さらにキャラを好きになる感動的なストーリーでした。


そして、山王戦に勝利した後

山王のエースである沢北が原作通りにアメリカ留学にいったシーンで

対戦相手のアメリカのチームに宮城がいるまさかの展開に驚いた人も多かったはず。

原作では、沢北の他にも

同じチームメイトの流川が日本一のプレーヤーになってアメリカに行くという設定でした。


しかし、アメリカにいってPGになった沢北の相手が

宮城だったというその後の結末は様々な意見があるようです。

原作の最終回で、山王戦後に湘北の新キャプテンになっていた宮城。

原作と照らし合わせても

「宮城がアメリカに行っているのはおかしい」

「金銭的にもアメリカ留学にいけないのでは?」

という意見も。


果たして宮城のアメリカ留学はいつ頃の話なのか?

その後のストーリーを考察していきます。

宮城リョータのアメリカ留学はいつ頃?

宮城リョータがアメリカ留学に行った時期については

山王戦後に湘北のキャプテンになった約1年半後高校卒業後の可能性がありそうです。


その理由が、作者の井上先生が支援している

『スラムダンク奨学金』の条件と宮城リョータの背景が合致するためです。

スラムダンク奨学金とは、バスケの実力があっても

金銭的な理由などでアメリカ留学などの挑戦ができない学生が対象の奨学金。


井上先生の個人会社や集英社が運営するこのスラムダンク奨学金は

高校2年生までの学生が対象で、宮城のような金銭的に余裕のない将来有望な選手が実際にアメリカ挑戦できている素晴らしい支援制度です。


2008年の奨学金第1期生となった並里成選手も

今回の映画で露わになった宮城と同じ沖縄県の出身でポイントガードの選手。

並里選手は福岡第一高校を卒後後に1年間アメリカ留学し

帰国後『リンク栃木ブレックス』と契約しプロ選手になりました。


さらに、背番号も宮城と兄ソータと同じ7番を付ける並里選手。

もしかすると、宮城のアメリカ留学は

並里選手と宮城リョータのバスケ人生を重ね合わせたストーリーになっているのかもしれませんね。

宮城リョータのアメリカ行きに対する人々の声

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